「神道」の成立とそれ以前の線引きをすることの難しさを示す一例を挙げる。
神話に登場し、古代以来の宗像大社の祭神がまつられる、玄海灘に浮かぶ沖ノ島の祭祀遺跡だ。
ここは古代祭祀の宝庫。
4世紀から10世紀までの数多くの国家的な祭祀の遺跡が確認されている。
注目すべきなのは、祭祀のあり方が連続的に一定方向に変遷しているように見えること。
当初、祭祀は巨岩の上で営まれていた。
それがやがて岩陰での祭祀へと移り、さらに半分岩陰で半分露天の祭祀になり、最後は岩から離れた露天での祭祀へと変遷を遂げた。
その背景には、神観念そのものの変遷があったと考えられる。
この変遷のどこか好きなところに線を引いて、ここからは「神道」の成立以前、ここからは成立以後と主張するのは、もちろん自由だ。
だが問題は、それがどれだけ客観性を持つことが出来るかだろう。